『働いたら負けかなと思っている』という言葉、あなたは知っていますか?
2004年に広がった、衝撃的なフレーズとも言えるでしょう。
そして、20年ほど前は、誰も本気だと思っていなかったでしょう。
この令和の現在では、痛々しいほど実感する人が増えてきています。
すでに、私自身も『働いたら負け』という言葉は、正しかったと感じているひとりです。
努力根性で労働する時代は終わりました
学校での教育内容は当たり前ではありません。
しかし、真実はうやむやにされていたのです。
本当はサラリーマンになるための教育である
という真実を中高年の年代になってから知りました。
振り返ってみると、私は高校を卒業して
正社員として働き始めて、教えられた仕事内容を
日々淡々とこなすのが当たり前だと思っていました。
そして、いつからか上司や先輩の
ご機嫌をうかがいながら仕事をする日々…。
周りの人たちは、愚痴や他者批判が日常茶飯事で、
私は近くにいるだけで気分が悪くなっていたので、
休憩時間はいつも1人でため息をついていました。
その頃から私は周りの職場環境についていけず、
パニック障害とうつ状態を引き起こしたのです。
突然動悸が起こったり、めまいや吐き気、頭痛や腹痛など
様々な体調不良が押し寄せてきました。
一番苦手だったのは、毎朝行われる朝礼で、当番が回ってくるたびに
前に出て司会をしなくてはならなかったのです。
いつもドクドクと心臓が激しく音を立てて
そのまま倒れてしまいそうになったこともありました。
それでも「ここで会社を辞めるのは私に忍耐力がないだけだ。
頑張れ、このくらい我慢しなくちゃ。」と自分自身に言い聞かせて
いましたが、心身ともに崩壊していったのでした。
結局、このような体調不良を起こしては、転職を何度も繰り返していきました。
『私は社会不適合者だ』
ある日、自分がそうなんだと認めたのです。
その後も、雇われることに対して不安や恐怖がつきまとっていました。
しかし、生活のためには働かなくてはいけませんでした。
当時勤めていた会社で、上司からのパワハラに「おかしい」と思いながらも耐えていました。
このままでは、パニック障害の再発と、確実にうつ病になると感じました。
そのため、脱サラして起業するという働き方を考えるようになっていったのです。
「どうにか自分で収入を生み出せるようにできないかな…。」
その時から、私はパソコンで色々な情報を収集し始めるのでした。
我慢して頑張り続けた先は『闇』であり『病み』しかありません。
その後、ようやく出会えたのが、独りひっそりネットビジネスの
メンターの松田悠玄さんと、マスターのひまわりさんでした。
そして今、1日2時間以内で、週4日程度。
パソコンをカチャカチャして、経済自由人の道を歩んでいます。
精神的な病からも解放されて、科学で作られた薬は必要のない生活になりました。
今では、自然と調和した暮らしが出来ていることに感謝しています。
1日8時間労働が当たり前、常識という価値観は崩壊しています。
最先端の働き方へシフトチェンジする時を迎えているのです。
御二方とのご縁は、一生に一度あるかないかという奇跡でした。
出会っていなかったら…と考えるだけで、ゾッとします。